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◆破壊された道路に代わる仮設道路は陥没したり、凹凸が
大きくなったりし、円滑な通行が確保できませんでした。
◆町外れの水田では、被災から1、2カ月経っても遺体回収作業が続きました。
水田が沼地に代わり、その上を枯れた樹木やがれきが覆う中、村人らが、
がれきの下に残る遺体を捜しています。遺体は大変な腐臭を放っており、
捜索は臭いを頼りに行われていました。
大きくなったりし、円滑な通行が確保できませんでした。
◆町外れの水田では、被災から1、2カ月経っても遺体回収作業が続きました。
水田が沼地に代わり、その上を枯れた樹木やがれきが覆う中、村人らが、
がれきの下に残る遺体を捜しています。遺体は大変な腐臭を放っており、
捜索は臭いを頼りに行われていました。
◆バンダアチェ市中心部で、「道路をふさぐ変わった建物」と思いきや…
◆実は、約4キロ離れた港に接岸していた船(長さ約60メートル、
幅約20メートル、高さ約13メートル、重さ3600トン)が
津波で流されたものでした。船は国営電力会社所有の火力発電施設でした。
◆バンダアチェ市郊外、ロクンガの海岸付近でも、
巨大なセメント運搬船(3000トン)が津波で内陸に流され、
元の道路をふさいでいました。
◆被災者が集うテント村です。あまり報道されませんでしたが、
津波から1年経ってもこうしたテント村で暮らす人がたくさんいました。
◆アチェ州に隣接する北スマトラ州のニアス島で05年3月に起こった地震の
被災地(1枚目)。1枚目の写真の左半分に写っている建物の下敷きになって
死亡したと見られる住民の体の一部(2枚目)。家族や近所の人たちが懸命に
救出しようとしたが、重機もなく、地震から2日目のこの日午後になっても助け出せませんでした。
◆地震から1年経ったニアス島。
郊外の橋はまだ復旧しておらず、人も車も川を直接渡っていました。
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